”石橋も叩かず”始まった「八起寄席」のお話

- 真心を -
これは今、古今亭文菊師匠がお客様にお渡しする色紙に書いている言葉です。

このコロナ禍の中、落語家の文菊師匠はどの様に乗り越えているのだろう、と今をお聞きしました。
「ネット配信は続けています。独演会など、様々な落語会を徐々に再開しています」との事です。

ところで、今回再開する落語会「グリーンホール八起寄席」(第144回)は、この3月15日(月)に相模原市の「相模女子大学グリーンホール」で夜6時30分から開催されソーシャルディスタンスで8時迄です。

麻布大学名誉教授の田中智夫氏が30年間めくりとビラを趣味で書いてくださっています。

麻布大学名誉教授の田中智夫氏が30年間めくりとビラを趣味で書いてくださっています。

この会の特徴は「四派競演」です。
36年前、八起が落語会を始めて1年目、三遊亭好楽師匠が「四派競演八起寄席」と命名してくださいました。
おかげさまで一周年記念は三遊亭圓楽師匠
二周年記念は立川談志師匠と
信じられない高座が続きました。

なぜ落語会を八起で…と、よく聞かれます。
「落語家さんがはなすところがない」と聞いて、
「じゃあ、とりあえず、うち(八起)でやったら?」
と単純に決め”石橋もたたかず”2週間目にはスタートしました。
その頃、世の中は皆んなが上を向いて走っている様な時代で、落語家さんが活躍する場所がどんどんなくなっていたのです。

八起のおばちゃんが5年生の頃、電気屋さんの白黒テレビで
黒門付きの着物のおじいさんが話す「時そば」を初めて聴きました。

ヒイー、フウー、ミイー、ヨウー、イツ、ムウ、ナナ、ヤアー

これが面白くて、家に帰って、こたつの上で演ってしまった。
それが落語である事を後で知りました。
「あんな面白いものが、話すところがないなら…」に繋がるのです。

ふふふ…と笑う事はいつの時代にも変わらない…

そして話は戻すと、好楽師匠は「落語協会」「落語芸術協会」「円楽一門」「立川流」の四派にそれぞれに落語家の幹事さんを付けてくださいました。初めから27年間支えてくださったの4人の幹事さんには感謝感謝です。

その後バトンタッチした若手の幹事さん達は
”いろどり豊かな噺家の芸を楽しめる様に”と落語会を支えてくれています。

八起寄席500回記念には三遊亭好楽師匠をお招きし実現できたことは、とっても嬉しかったです。

談志師匠におかれましては25年もお付き合いをさせて頂き、忘れられない思い出がいっぱい!

ついつい書きたい事がありすぎて…

またいつか書かせてください。

3月15日は、古今亭文菊師匠が幹事です。

お楽しみに~!!

後書き
八起のおばちゃん「単純なんだね私」
八起のおじちゃん「単純が一番いいんじゃねえか?」

Follow me!